大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成4年(ワ)75号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求の趣旨

一  被告は、原告らに対し、それぞれ金一一〇万円及び内金一〇〇万円に対する平成四年一月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言

第二  事案の概要

一  請求原因

1 昭和六〇年及び平成元年当時、原告らは訴外宗教法人調御寺(以下「調御寺」という。)の総代兼責任役員であり、被告は調御寺の住職兼代表役員であった(争いなし)。

2 被告は調御寺を代表して、昭和六〇年一二月に訴外宗教法人本説寺(以下「本説寺」という。)に対して金一億円を、平成元年に訴外宗教法人宣徳寺(以下「宣徳寺」という。)に対して金二億五〇〇〇万円をそれぞれ貸し付けた(以下それぞれ「本説寺に対する貸付」、「宣徳寺に対する貸付」という。)。

3 右各貸付については、宗教法人法「以下「法」という。)及び調御寺規則(以下「規則」という。)上責任役員会の承認決議が必要であるにもかかわらず、被告は原告らに右各貸付の当否を諮ることなく、原告らの署名捺印を偽造して右各貸付を承認する旨の責任役員会議事録を作成し、訴外宗教法人日蓮正宗(以下「日蓮正宗」という。)宗務院に提出した。

4 原告らは被告の右3記載の行為により、

(1) 調御寺の責任役員として責任役員会の招集通知を受け、責任役員会に出席し、そこで議案の説明を受け、それについて意見を述べ、議決権を行使するなどの法人事務決定権を奪われ、責任役員としての職務の遂行を阻害された。そしてそれによって精神的苦痛を被った。

(2) 人格権としての氏名権を侵害され、精神的苦痛を被った。

(3) 調御寺の一般信徒から、原告らも右各貸付に加担していたのではないかと疑われ、あるいは原告らは責任役員として被告を監督すべきであるのにその職務を怠っていたと批判され、社会的信用を著しく傷つけられた。被告は、原告らが右加担をしたとの外形を作出したのであるから、原告らの名誉回復を図るべき信義則上の義務があるのに、これを履行しなかった。

5 右4(1)ないし(3)の損害を金銭に見積れば、原告ら各自につき金一〇〇万円が相当である。

6 また、原告らは右慰謝料請求のために本件訴訟提起及び追行を弁護士に依頼することを余儀なくされ、そのため弁護士費用として原告ら各自について少なくとも金一〇万円の負担を余儀なくされた。

7 よって原告らはそれぞれ被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として金一一〇万円及び内金一〇〇万円につき本件訴状送達の翌日である平成四年一月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の主張

1 責任役員としての法人事務決定権侵害の主張に対して

(1) 本説寺に対しては、昭和六〇年に金二〇〇〇万円を貸し付けたに過ぎない。

同貸付については、原告らも責任役員会において承認している。

(2) 宣徳寺に対する貸付の事実は認めるが、右貸付に際しては、責任役員会の承認決議は法及び規則上要求されていない。したがって、法人事務決定権の侵害に関する原告らの主張はその前提を欠くものであり、失当である。

(3) 仮に、法あるいは規則上、宣徳寺に対する貸付について責任役員会の承認決議が必要であるとしても、原告らは被告に対して調御寺に関する事務決定を全面的に委任して自ら責任役員としての職務執行の機会を放棄してきたのであるから、宣徳寺に対する貸付について責任役員会を招集して原告らに諮らなかったからといって、原告らの法人事務決定権を侵害したことにはならない。

2 責任役員会議事録の偽造の主張に対して

被告は、昭和六〇年度及び平成元年度の予算及び決算を承認する旨の責任役員会議事録を、原告らの署名捺印を代行して作成し、日蓮正宗宗務院に提出したが、これは原告らの被告に対する委任に基づくものであり、偽造ではなく、氏名権を侵害したことにはならない。

3 原告らの社会的信用の失墜の主張に対して

昭和六〇年度及び平成元年度の予算及び決算を承認する旨の責任役員会議事録は調御寺の一般信徒に公表されていないし、被告が一般信徒に対して宣徳寺への貸付に原告らが関与したと発言したこともない。

したがって、仮に宣徳寺に対する貸付の発覚が契機となって原告らが一般信徒から請求原因4(3)記載のような批判を浴びたとしても、それは一般信徒の誤解に基づくものであり、宣徳寺に対する貸付とは因果関係がない。

三  争点

1 貸付に際して責任役員会の決議が必要か否か

2 原告らは被告に調御寺の事務決定を委任していたか否か

(1) 宣徳寺に対する貸付の経緯

(2) 本説寺に対する貸付の有無及びその経緯

(3) 責任役員会運営の実態

3 法人事務決定権侵害に基づく慰謝料請求の可否

(1) 「法人事務決定権」の意義及び性格

(2) 本件における法人事務決定権侵害の有無

4 氏名冒用に基づく慰謝料請求の可否

(1) 「氏名権」の意義及び性格

(2) 本件における氏名冒用の有無

5 本件貸付と原告らの社会的信用失墜との因果関係の有無

四  証拠《略》

第三  争点に対する判断

一  争点1に対する判断

(1) 法一八条四項及び同一九条を受けて、規則一一条は、「この法人の事務は、責任役員会において責任役員の定数の過半数で決し、その議決権は、各々平等とする。但し、可否同数のときは、代表役員の決するところによる。」と規定している。

右の「法人の事務」という文言の通常の解釈からすると、普通財産を含む法人財産の処分を伴う金銭の貸付は当然にこの中に含まれると解するのが相当であり、法及び規則上金銭の貸付を「法人の事務」から除外すべき根拠は見当たらない。

(2) この点につき被告は、規則二一条各号に定める行為の中に貸付行為が含まれていないことを理由に、貸付には責任役員会の議決が不要である旨主張している。

しかし、規則二一条の意義は同条各号に列挙されている行為については規則一一条及び一九条に規定された責任役員会の議決に加えて、日蓮正宗の代表役員の承認及び信者その他の利害関係人に対する公告が必要とすることにあり、規則二一条の「責任役員会の議決を経て」という文言は規則一一条及び一九条を受けて確認的に挿入されているに過ぎないと解するのが相当である。したがって、規則二一条各号に列挙された行為の中に貸付行為が含まれていないからといって、貸付について責任役員会の議決が不要と解することはできない。

(3) 更に、被告は、調御寺及び貸付先である本説寺、宣徳寺の包括団体である日蓮正宗の承認の下になされる被包括法人間の金銭の貸借については、貸付につき責任役員会の議決は不要であると主張する。しかし、《証拠略》によれば右のごとき運用がなされていたことは認められるものの、《証拠略》によれば、平成二年八月頃以降日蓮正宗は右の運用を改め、責任役員会に諮るよう被包括法人に指導するように至ったことが認められ、右運用が法及び規則に沿うものであったとは認められない。

(4) 以上より、貸付については責任役員会の議決が必要であると解するのが相当である。

二  争点2に対する判断

1 宣徳寺に対する貸付の経緯

(1) 平成元年三月、宣徳寺から調御寺に対して土地購入資金として二億五〇〇〇万円借り入れたい旨の申出がされ、被告は同月一三日付で貸付金支出二億五〇〇〇万円を計上した平成元年度通常会計収支予算書を可決する旨の責任役員会議事録を作成し、右議事録は同年四月四日に日蓮正宗宗務院に提出された。右議事録になされた原告ら名義の署名及び捺印は、被告が行ったものである。

(2) 調御寺は宣徳寺に対して、平成元年五月二二日に金一億五〇〇〇万円を、同年八月二九日に金一億円をそれぞれ貸し付けた。原告らは平成二年一二月ころ、宣徳寺に対する貸付を知った。

(3) 平成三年一月一九日、原告らは調御寺を訪れ被告と話し合う機会を持ったが、そこでは宣徳寺に対する貸付の問題は多くの項目の中の一つとして触れられたに過ぎず、原告らが右貸付を理由に被告を糾弾することはなかった。

(4) 同年二月一九日、原告らは調御寺の予算の議決のために調御寺を訪れた。そこでは宣徳寺に対する貸付の金額や返済条件、担保の有無等は話題になったものの、原告らは被告の責任を追及するような言動はとらなかった。

(5) 同年六月二〇日、調御寺において平成二年度通常会計収支計算書及び財産目録の議決のために責任役員会が開かれ、原告らは右議案を可決し、議事録に署名捺印した。右財産目録には、平成二年三月三一日現在で三億〇五〇〇万円、同三年三月三一日現在で二億五〇〇〇万円の貸付金が存在することが明記されており、原告らはこの記載を認識しつつ、右財産目録を承認した。

2 本説寺に対する貸付の有無及びその経緯

(1) 昭和六〇年度の調御寺の予算書には、貸付金支出として五〇〇〇万円が計上されており、同年度末の決算書の貸付金支出欄には七〇〇〇万円と記載されていること、及び右七〇〇〇万円の内金二〇〇〇万円は原告らが承認した本説寺に対する貸付であることから、予算計上された五〇〇〇万円の貸付は昭和六〇年度中に実行されたことが認められるが、右貸付が本説寺に対してなされたものであることを認めるに足りる証拠はない。

(2) また、《証拠略》によると、調御寺は平成二年度中に五五〇〇万円の貸付金を回収しており、その内五〇〇万円は昭和六〇年に調御寺が本説寺に貸し付けた二〇〇〇万円の分割返済金であるとの事実が認められる。

(3) 五五〇〇万円から右五〇〇万円を控除した残りの五〇〇〇万円の貸付先について、被告は、本説寺ではないと供述しつつも、貸付先に迷惑がかかることを理由に具体的な貸付先を明らかにしない。

右のような被告の供述態度から直ちに乙四の貸付金回収収入欄に記載されている五〇〇〇万円が、原告が主張する本説寺に対する貸付金であると認めることはできないが、宣徳寺に対する貸付同様、被告が事前に責任役員会に諮らずに貸し付けたものであることは容易に推認できる。もし、この五〇〇〇万円の貸付について被告が事前に原告らに諮り、原告らが自ら署名捺印した議事録が存在するならば、乙二の四と同様に、被告はそれを書証として提出するか、少なくともその議事録が存在する旨供述するはずであるが、それをせず、迷惑がかかることを理由として貸付先を隠そうとすることは、この五〇〇〇万円の貸付も宣徳寺に対する貸付と同様の手続で決定及び実行されたことを推認させるからである。

(4) しかし、平成三年六月二〇日に、原告らが平成二年度通常会計収支計算書及び財産目録の議決のために調御寺を訪れた際にも、乙四の貸付金回収収入欄に記載された金額の貸付手続の不備を理由に被告の責任を追及するような言動は一切とらず、乙四に署名捺印した。

3 責任役員会運営の実態

(1) 原告らは昭和五三年八月から平成四年五月ころまで調御寺の責任役員に存在していた。

(2) 規則二四条及び二九条は、調御寺の予算及び決算については責任役員会の議決が必要である旨規定しているが、原告らが責任役員に就任してから平成二年までは予算及び決算の議決のための責任役員会が招集されたことはなく、原告らが被告から毎年度の予算及び決算の概要の説明を受けたこともない。

(3) したがって原告らは、平成二年以前は、調御寺の予算または決算を承認する旨の議事録に自ら署名捺印したことはなく、被告が原告らの署名捺印を代行して右議事録を作成していた。その際被告が使用していた原告ら名義の印鑑は被告が購入したものであった。

(4) 原告らは、その他の調御寺の事務については、被告の呼びかけに応じて参集し、被告が設定した議題について、その説明を受けて議決するだけであり、原告らが議題を提案したり、調御寺の事務に関する疑問点を被告に質したりすることはなかった。また、原告らが被告に対して責任役員会の招集を請求することもなかった。

4 小括

(1) 以上の事実関係から、原告らは調御寺の事務、その中でもとりわけ財務について被告に一任していたことが認められる。

(2) 確かに、被告は原告らから明示的に調御寺の財務に関して一任されていたわけではないが、右3で認定した責任役員会運営の実態と、右1(3)ないし(5)及び2(4)で認定した各貸付後の経過を総合すると、少なくとも調御寺の財務に関しては黙示に一任されていたことが認められる。

(3) したがって、宣徳寺に対する貸付についても、被告が事前に原告ら責任役員に諮るべきであったのにこれを怠ったことについて、原告らは同貸付自体を容認したものではないが、右のような取扱い自体は事実上黙認していたものとも評価できる。

三  争点3に対する判断

1 「法人事務決定権」の意義及び性格

(1) 調御寺の責任役員は、責任役員会に出席し、自らの意見を述べ、議決権を行使することができる(法一八条四項、五項、規則一一条参照)。しかし、これらの権限は専ら調御寺の利益のために行使されるべきものであり、これらの権限の行使が妨げられたからといって直ちに当該責任役員に損害が生じるとは言い難い。

(2) しかし、法人の役員としての権限行使は、一方で各人が自己の持つ個性を全うすべき場として、役員個人の人格的価値とも密接不可分の関連を有するものである。もっとも、役員としての職務遂行が当該法人の利益のみならず、役員個人の人格的利益と関連性を有するといっても、後者はあくまで職務遂行の副次的な目的に過ぎないのであるから、役員としての職務遂行の妨害が違法に当該役員個人の人格的利益を侵害したと判断されるのは、その妨害が目的、程度及び態様において特に悪質であると認められる場合に限定されると解すべきである。

2 本件における法人事務決定権侵害の有無

(1) 本件においては、右二の3及び4の認定によれば、原告らは自ら責任役員としての権限行使の機会を放棄していたに等しいと言うべきであり、被告がことさら原告らを法人事務決定手続から排除したものとも認められないから、被告が原告らの法人事務決定権を違法に侵害したものとは到底認められない。

(2) なお原告らは、本件貸付は調御寺及び宣徳寺の財政状態に照らすと、金額及び条件において不当であり、もし事前に責任役員会において審議していれば反対していたはずであるから議決権の侵害に該当すると主張する。

しかし、仮に本件貸付金が回収不能となっても、それはあくまで調御寺の損害であって原告らの損害ではない。すなわち、被告の本件貸付の決定及び実行が調御寺との関係において違法ないし不当であるからといって、直ちに被告が原告らの職務遂行の機会を奪ったものとは言えない。被告が行った本件貸付の適法性あるいは妥当性と被告が原告らの職務遂行の機会を奪ったか否かは全く別個の問題であると言うべきである。

四  争点4に対する判断

1 「氏名権」の意義及び性格

(1) 署名は、ある意思または観念の表示の主体が当該名義人であることを示す手段として社会生活上重要な意義を有している。したがって、偽造文書が行使されたことにより、当該名義人が表見責任を問われるなどの財産的損害を被ったり、当該偽造文書が不特定又は多数の者の目に触れて当該名義人の社会的信用が傷付けられたような場合に、当該名義人が偽造者に対して不法行為に基づく損害賠償を請求をし得ることは当然である。

(2) しかし、右のような財産的損害や社会的信用の低下が生じない場合であっても、名義を冒用されたことによって、社会生活上の特定の場面において自己が関知しない事項について、あたかも表示の主体であるかのごとく取り扱われることが、当該名義人に精神的苦痛を与える場合があることは否定できない。

右のような場合を「氏名権の侵害」と称するかどうかはさておき、右のごとき精神的苦痛を被った名義人にも損害賠償請求権を認めるべきである。

2 本件における氏名冒用の有無

被告は原告らの署名捺印を代行して予算及び決算を承認する旨の責任役員会議事録を作成し、日蓮正宗宗務院に提出しているが、右二で述べたように、原告らが調御寺の財務について被告に一任していた以上、被告の署名捺印の代行行為及び議事録の宗務院への提出行為が委託の趣旨を逸脱しているとは言えず、自己が関知しない事項について表示主体として取り扱われた場合には該当しない。したがって、氏名冒用を理由とする慰謝料請求は理由がない。

五  争点5について

(1) 原告らは、本件貸付の発覚によって調御寺の一般信徒から、「本件貸付に加担した」あるいは「責任役員としての職務を怠った」などと批判されて精神的苦痛を被ったと主張する。

しかし、原告らは調御寺の財務に関する意思決定を被告に委ねており、その点で本件貸付は原告らの意思に基づくものと評価できる。また、右二の3で認定したように原告らは責任役員として代表役員たる被告を監督することは一切せず、その意味において正に職務を怠っていたと評価されてもやむを得ない。一般信徒の原告らに対する批判が本件貸付の発覚を契機として起こったとしても、それは調御寺の事務の決定を被告に一任し、被告を何ら監督してこなかった原告ら責任役員の職務懈怠の事実がたまたま本件貸付の発覚を端緒として顕在化したに過ぎない。

したがって、本件貸付の発覚によって原告らが一般信徒から批判され、原告らの社会的信用が傷つけられたとしても、それは原告らが自ら招いたものであり、被告の本件貸付の決定ないし実行とは相当因果関係があると認めることはできず、社会的信用の失墜を理由とする慰謝料請求は理由がない。

(2) また、右批判は原告ら自らが招いたものと評価されるものである以上、被告に原告らの名誉回復を図るべき信義則上の義務があると解することもできない。

第四  結論

以上の説示のとおり、原告らの請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官 前坂光雄 裁判官 辻 次郎 裁判官 山本正道)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例